おっさん's だいありー

主にバイクのこととか、ランニングのこととか、Jリーグ・FC東京のこととか

病院へ行こう!その6(1)

時に弄ばれて.....

 病院生活にもいよいよ慣れてきて、のほほ~んとした日々はそろそろ1ヶ月になろうとしていた。毎日のスケジュールは相変わらずで繰り返されていった。例の「拷問」も相変わらずだった。どうもなかなか思うように欠損した皮膚が復活してこないようだ。患部の傷は早いとこ塞がり、その都度消毒しなくてはいけない状況をとっとと抜け出し「開放」させるのに越した事はない。そういう状況とは程遠い現状にオレ自身も少々焦りにも似た感情を持ち始めたのは事実だ。
 そして1ヶ月経った頃のとある水曜日。例のジィさんによる「教授回診」。
 そうか・・・そろそろ1ヶ月だよなぁ。このジィさんの顔を見るのも、もう何回目になるんだろう?・・・相変わらずの大名行列ぶりを遠目で見ているオレであった。

 そしてオレのベッドの前にそのジィさん教授は歩みを進め、オレの前で立ち止まりカルテを手にした。
 主治医はそのジィさん教授に患部の状況・経緯を説明していた。
 うんうん、とわかってるんだかわかってないんだかわからんが、頷きながらその説明を聞いていたジィさん教授。

 そして、ボソっと呟いた。




 「・・・植えましょうか・・・」




 「植える」?!何言ってるんだ?このジィさんは・・・
 ジィさんだけに、盆栽かなにか植物でも植えるんかー?!

 大名行列一行様が通り過ぎていった後、主治医のせんせにこの意味不明なキーワードを訪ねてみたところ・・・

「植える」=「皮膚移植」?! ......\( ><)シ ぎょぇぇぇ


 詳細を聞いてみると、患部左足の腿付近より薄皮をおっぱがし、それを足首の皮膚欠損部に縫い付ける・・・という世にも恐ろしい儀式らしい。

 大体だな、今までこれら現状に耐え忍び、「拷問」にも耐えてきたこの一ヶ月間は一体なんだったのぉ?!やるならとっととやってくれた方がよかったのにーっ!という思いがフツフツと湧いてきた。皮膚欠損部も遅いながらも復活の兆しが見えてきていた時だっただけに、これでまた「植皮」などの手術を受けようものならまたまた入院日数が延びてしまうのは明らかだった。なんてことをブツブツと頭の中を駆け巡っていた。
 なによりも自分自身がモルモットかなにかになった気分であった。まるで実験材料・・・。大学病院って、どこもこんな感じなんだろうか・・・

 さてさてそこでだ、主治医のせんせと作戦会議。
 要は、次週の教授回診までに「植皮」の必要性を感じないまでの回復量を示す事ができれば手術は中止になるであろう。
 こりゃ、やるっきゃない!

 そしてそれからは「更なる拷問!」へと突入していったのだった。

 つまーり、欠損した皮膚の上がりを妨げているのは何を隠そう「痂(かさぶた)」である。そしてそんな上がってこようとしている皮膚の手助けをしてあげる為には何をしたらいいか?!

 はい、そーゆーこと。
 邪魔している「痂(かさぶた)」を撤去してやること。
 つ~ま~り、「痂(かさぶた)を剥がす」ことであった。

 これは泣いた。
 いや、まじで泣いた。

 いいかい?取り出したるはバケツ1コ。
 そこになみなみと消毒液(イソジン)を入れる。
 はい、そこに今だ生々しい傷を見せている左足を突っ込む。
 しばらく浸していてふやけてきたところをガーゼでごしごしと擦りながらこれら「痂(かさぶた)」を剥がし落としていくのだ。これを連日、例の「拷問」時間帯に行う。

 想像しただけで泣けてくるぜ・・・。
 しかし、これも一週間後の教授回診で手術を却下させる為の苦渋の選択であった。
 全ては一週間後にオレの運命は決まる・・・。



。・°°・(>_<)・°°・。





( ・_;)( ;_;)( ;_;)(>0<)ワーン





(/_<。)ビェェン






 というわけで一週間が経った。
 というわけで例の「教授回診」
 というわけで再び例の大名行列がやってくる。
 というわけで、あのジィさん教授がやってきた。
 傷口はまだまだ完全とは言えないが、それでも以前に比べたら格段に欠損範囲は見た目にも狭まってきているのは明らかだった。これなら!!「Special 拷問」にも耐えた甲斐があったというものだ。祈る思いでそのジィさん教授を迎えた。
 患部を見せて、どうだぁー!と意気揚揚なオレ。
 はいはい、とそれを診止めて、そして、そして・・・




おーいっ!そのまま"素通り"かよっ!


 かくして、黙殺されたオレの「皮膚移植」は確定したのであった。
 そしてその手術の日は、忘れもしない・・・






・・・ん?!忘れた・・・



運命のカウントダウン.....

 それからというもの、手術の準備は着実に進められていった。
 親を呼んでの手術の説明。手術の必要性(まぁ嫌ならこの時にでも拒否する事は可能だったが…)を懇々と説かれた挙句、何やら誓約書なるものにサインさせられた。これは言わば「もし失敗しちゃっても文句は言いましぇ~ん」なるものであった。
 手術では腰椎麻酔による下半身のみ麻酔を掛けて行うらしい。
 腰椎麻酔・・・そう、身体を海老のように丸めて、その背骨の骨と骨の間にブスッ!!と針をぶっ刺すのであった。そしてカンナのようなもので大腿部から薄皮一枚削り剥がし、患部に張り付け縫い付けるのであった。
 こんなこと聞いているだけで卒倒しそうであった。
 大きい小さい拘わらず手術なるものは生まれてこの方初めての体験であるオレ。その決行日が近づくに連れてやはり緊張の度合いは高まっていった。今回の手術自体は別に生死に関わることもない極めて簡単至極なものではあるが、本人にとってはまさにこれ生死の狭間を行ったり来たりするような気分。この気持ちわかってよぉー。

 手術前日・・・
 気分はまさに死刑執行を明日に控えたかの如きものであった。

 夕飯は抜き。
 そして看護婦さんが、なにやら持ってやってきた。




・・・か・ん・ち・よ・う・・・


 「はい、これ。自分でできるよね?」
 明るく天使の笑顔で問い掛ける看護婦さんに思わず「うん。できるよ~」などとは言ったものの・・・そんな”カンチョ”なんて初体験~.....(*^^*ゞ(うふっ 優しくしてねん♪)
 仕方ないので、周りの経験者にそのコツを聞いた。

 「この管を突っ込んでだな、ドバッと液を注入したらだな・・・」
 「もよおしてきても、簡単に出したらあかんでぇ~」

 「我慢・我慢・我慢・我慢・我慢~~~~~~~~~~~~~~!!」
 「で、これ以上我慢できーんってぇところで一気の放出じゃぃ!」

 なんだか物凄い絵柄が頭をよぎったのであった。大丈夫かいな・・・。
 ということで、その”カンチョ”を手にすごすごとWCの戦場へと繰り出したのであった。



~~~以下、途中経過省略~~~
想像したい人はご自由にどうぞ。
お望みとあらば、克明描写いたすが・・・どう?


 ふぅ~すっきりしたぁ~・・・
 その後は「精神安定剤」の筋肉注射をブチュッとやり、ほかのみんながうまそうに食べている夕飯を尻目に、頭の中では、一体自分はどうなってしまうのであろうか…不安がぐるぐる渦巻いている。そんな小心者のオレ。手術自体はなんてぇことはない単なる「皮膚移植」なのだから・・・。いーや!初めての体験には大なり小なり不安は付き物なのさ!...と自己弁護するオレ。
 そうこうしているうちに、精神安定剤が効いてきたのか、いつしか眠りに落ちていった・・・。
 明日はいよいよ決戦。